先日Wattさんと話し合ったこと。
 それは『人はみな平等である』かどうかというコト。

 まあ、私はクリスチャンですから、それを信じてるわけですよ。ハイ。

 でも某歌ではそれを完全否定。
 Wattさんが好きな歌らしいので話し合い。

 で、だ。なんか色々言い負けたので色々と考え直してみましたです。ハイ。
 然る私の結論。

 人はみな平等であるっていうことは本質であるということ。
 今の世の中には不平等が溢れています。
 ただ、そういったものが本質ではないので、富める者は貧しい者に与えよう。人が自分の欲望のために他人に苦役をすることを強制してはならない。
 そういう考えが『人はみな平等』と言ったことの根源であると思います。

 そして、Wattさんはそのことを信じていると思うわけですよ。ハイ。

 人は平等じゃないと言ったそのことが、逆に信じている証拠です。ハイ。

 人の本質が平等でないのであれば、例えば不平等が当たり前で、そのことは産まれついての運次第であると考えるのであれば…だ。
 歌に出てきた、生きる糧を得るために盗むしかない少年も、金持ちに売られて汚された少女も、その少女を買った金持ちについても、何も感じる必要はない。
 それは、そういう運命を背負った人間の当然の生活なのだから。

 その歌を聴いて人が平等でないと感じるその根源は、人が平等なんだということを信じているからなのだと思えるんです。

 信じることと知ることは、似ていると感じるかもしれないけれど、実は全く違うもの。
 信じたことは、たとえその逆の事実を知らされたとしても揺るがない。
 逆に、いくら真実を知ったとしても信じることができなければそれは信じられることはない。

 現実が不平等であるということを知っていても、それがおかしいことだと感じること。
 それは、人間は本来平等なんだと信じているからに他ならないとか思った冬の夜でした。

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